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学力の二極化 と先生の仕事
学力の二極化

学力の二極化が進んでいるという。よくよくいろんな紙面を読んでると、塾に行ってるものとそうでないものとの差が激しい、ということと、教員が忙しくなって教えるのに時間がない、ということが要因らしい。

1。塾に行くものと行かないものの差。
 これは、親の金銭的な問題をバックグラウンドとしてあげているが、本当だろうか。真の学力は小学生の間は、特に家庭学習の基礎ができているかどうかが肝になる。親の学力云々じゃなくて、毎日自分で机に向かえるかどうか。宿題をきちんとできるかどうか。それができはじめると、自然と「わかるところ」「わからないところ」を子どもが区別できるようになり、学校でも質問できる(親にも質問できる)、という構図が望ましいらしい。
安直に、親に金がないから塾に行かせることができない、というのはおかしいと思うよ、日教組さん。

2。教員が忙しくなって教える時間がないということ。
 教員は教える人。つまり先生ということ。本業は教えること。その時間がない、というのは職務怠慢。それを忙しい、校務分掌で忙しい、というのは逃げ口実。最近の教員は授業の準備をせずに、飛び込み授業をして、指導書(虎の巻)を見ながら教えるのが多いらしい。それは子どもの心に届くのだろうか。人を育てる仕事をしている以上、教えることを仕事としている以上、忙しくなって教える時間がない、というのは、教員がもっとも恥ずべき逃げ口実。

他の業務で忙しいならば、忙しくならないためのシステム作りを考えてみてはどうだろうか。
非常勤を雇うなりなんなりして、そちらの業務の負担を、子どもへの指導にさくことはできないのか。なんか違うぞ。

それを札幌の日教組の会合で堂々と発表している先生方がすごいと思う。
子どもの学力低下が叫ばれているが、大人の先生の学力低下、意欲低下、本質のつかむ力の低下が子どもの学力低下を助長させているのではないか?ひょっとして。

今の公立学校の本質は何なのか、日教組の先生方、考えてもらえないだろうか。
そんな先生にならった子どもたちが将来どうなるのか。
最近、公立の先生のなかで、自分の子どもだけは有名国立・私立中学・高校に入れるケースが多いと嘆いていた先生がいた。自分の子どもも堂々と公教育を受けさせるためには、まず足下を見た方がいいんではないだろうか。

きついけれど、これが見出しのニュースになっているのに愕然とした。
恐育、である。
by thinking_reeds | 2005-01-07 17:02 | 教育・お勉強